写真のレトリック

これに悩むこと、これを楽しむこと。
ダイアン・アーバスアウグスト・ザンダー
からティルマンス、ラリークラーク、見得てなかった
連関を得てきた。これからが面白い。
あまり触れることの無かった20世紀前期、
この国は木村伊兵衛の時代、そう、写真の徐々に産声が大きくなった
時代に触れてみようと思う。


以下MEMO


ARBUS, Diane
1923-1971
現代写真においてポートレート写真の意味を変革したことで知られる 伝説の写真家ダイアン・アーバス。 彼女はニューヨークの裕福なユダヤ中流階級に生まれます。 18歳の若さで結婚し、夫のアランとともに写真に取り組み始めます。 戦後、夫婦でコマーシャル、ファッション写真家としてキャリアを開始し、 やがて、ヴォーグ誌やグラマー誌で活躍するようになります。

1940年代にベレニス・アボットのクラス、1954年にアレクセイ・ブロドビッチのデザイン・ラボラトリーに参加しウィジー、ルイス・フォアー、ロバート・フランクの写真に 触れています。
1955〜1957年にリゼット・モデルに学び、彼女の優れた視点が評価され 作家活動を行うことをすすめられます。彼女は勇気づけられ、 視点をより被写体に近づけてニューヨークのストリートを撮影しています。 1950年代後半には作家として自己表現をより探求するためにコマーシャル の仕事を辞めます。結局、アランとは別居後の1969年に離婚しています。

1960年に“エスクァイア”誌に発表されたフォト・エッセイをかわきりに、“ハーパース・バザー”誌、“ロンドン・サンデータイムズ・マガジン” などに、次々と作品を発表し、徐々に評価を受けるようになります。 彼女の雑誌の仕事は死後編集された“Magazine Work”Aperture 1984にまとめられています。

1962年には35ミリから当時はスタジオ用と考えられていたローライフレックスを使用しロケ先で撮影するようになります。 1963年と1966年にグッゲンハイム奨学金を受け、米国全土を撮影旅行しています。 1967年にはニューヨーク近代美術館で開催された “ニュードキュメンツ”展(ジョン・シャーカフスキー企画) にリー・フリードランダー、ゲイリー・ウイノグランドとともに選出されて評価を高めています。 その後1960年代の約10年の期間で主要作品を制作しています。

彼女の主題は性倒錯者、小人、巨人、精神病院の収容者、などの人々を扱ったものが多く、それらを被写体の日常生活の中でとらえています。 また公園に集う人々、ヌーディスト、覆面舞踏会の参加者など普通の人間の中に潜む奇異なライフスタイル習慣や性格をも倒錯者と同様に暴き出そうとしてい ます。
彼女の写真の特徴はグロテスクな被写体を追求することと誤解されますが、現実を可能な限りそのままに表現しようとする冷徹な姿勢にあるのです。 被写体はどれもカメラに対して自分たちをさらけ出そうとしているかに見えますが、彼女自身のパーソナリティー、モデルに正面なポーズをさせる スタイル、正面からの直接のストロボを使用するライティングなどがその冷酷な被写体の演出に役立っています。彼女の直接的なアプローチは、1920年代にドイツで活躍したアウグスト・ザンダーの影響とも言われています。
また、被写体が自身をどのように見ているかに対して強い関心を払っており、自分の持つイメージと他者の持つ自分のイメージの違いを意識して 撮影していたことも作品の特徴といわれています。

1971年7月26日の自殺と、翌年秋にニューヨーク近代美術館で開催された回顧展で彼女は写真史で伝説化されます。 その後世界中の美術館やギャラリーで作品が展示され、写真表現に多大な影響を与えています。 生前には写真集がなかったアーバスですが、 1972年に刊行された“Diane Arbus ”Apertureは25万部以上も販売されました。

2003年10月から、サンフランシスコ近代美術館を皮切りに全米、欧州を巡回する、本格的な写真展“Diane Arbus:Revelations”が開催されました。




SANDER, August
1876-1964
ザンダーのポートレート写真は戦前のドイツ・ ワイマール共和国時代の社会階級と時代の雰囲気を明らかにするドキュメントを越える写真作品として知られています。
彼のキャリアは商業写真家の助手からはじまります。そして1910年にケルンで自分スタジオを開設します。彼はケルン近郊の農民やその家族をたちを 自然環境の中で撮影した絵画的な写真作品を発表、展示し、写真コンテストで賞を取るようになります。

1918年にマルクス主義の現代作家たちと知り合い、芸術とは社会の構造を露わにする表現だ、との彼らの考えに影響を受けます。それがきっかけとなり、あらゆる階層、民族、職業のポートレートを 記録する“20世紀の人々”という膨大なプロジェクトを思いつきます。
この時期には写真スタイルも変わります。それまで写真に修正などを施してい ましたが、モデルの実像をありのままに表現することを心がけるようになります。
彼は無名な人達をありのまま表現し、職業を特徴付けるようと試みます。そのために撮影は彼等の仕事場などの日常環境で仕事着のままで行われています。
作品の一部は1927年にケルン美術協会ではじめて展示されます。その客観的なリアリズムを持った作品は多くの人に驚きをあたえています。 1929年にはプロジェクトから60点を編集して写真集“Face of Time”を刊行します。1934年には彼の息子の政治活動への疑惑からナチスがこの写真集を押収しプリントを破棄しますが、幸運にもネガは残ります。

戦後は主に風景写真と、戦前のネガの整理とプリントを行っています。 この壮大なプロジェクトはその後1950年代まで継続されます。 その期間に撮影されたのは芸術家、芸人、知識人、役人、スポーツ選手、商人、労働者、失業者、兵士、革命家、企業家などに職業上分類される540ものポートレート にのぼります。平凡なポートレートのカタログに陥りがちなプロジェクトですが、彼のアーティストとしての被写体への繊細な感受性がドキュメントを芸術写真にまで高めています。

ザンダーの写真はベッヒャ−夫妻、クリスチャン・ボルタンスキーをはじめその後の若いドイツ写真家、芸術家 に多大な影響を与えています。